北の離島― 礼文・利尻・サロベツ・札幌の旅
関西空港から稚内まで直行便で行く。リムジンバスの終点から稚内のJR駅と全日空ホテルの建物が見える。とても北の最果ての駅とは思えない。駅の観光案内所で礼文・利尻行きの船の時刻を聞き、観光名所とレンタル自転車屋を地図で教わる。レンタル自転車屋は近くに二軒あると教わったが、従業員がいない。
飛行機で来るような人が、ゆっくりと穴場を探すために自転車に乗るようなことはしないのだろう。
「ノシャップ岬」というしゃれた看板には、本州最北端の岬と言う厳しさはない。喫茶店の案内みたいだ。年配の女性二人が花壇を手入れしており、その背景には自衛隊の基地が見える。 自衛隊基地の近くまで行き、引き返すが、途中にあった稚内公園は山の上で自転車で上がるのは無理だ。時間がないので、自転車は小屋に立てかけ、ヒッチハイクをするため通りまで行き、車で通りかかった中年の女性に“稚内公園に上がりたいが船の時間に間に合わないので乗せてほしい”と頼む。すると、“私も観光案内所で働いていたことがある。それはぜひ「氷雪の門」を見るべきだ”と言って乗せてくれた。猛スピードで、たった五分で上まで運んでくれた。氷雪の門の碑には氷のような厳しさを感じた。これは、樺太で亡くなった人の慰霊碑だ。全てを置いて引き上げた人々の悲しみ苦しみも表現している。眼下を礼文島に向かうための高速フェリーが戻ってくるのが見える。あれに乗らないといけないらしいが、その前に自転車を返さないといけない。運んでくれた人も一緒に、自転車を探してくれた。お礼もそこそこにレンタル自転車屋に向かってすっ飛ばす。
ユースは島の最北端で車で一時間かかるので迎えに来てくれていた。たくさんの人が泊まっていて、初めて来たのは私だけ。一ケ月間泊まる予定の人もいた。ハイキングしながら花を探すコースが10ほどある。私は次の日の昼に利尻に渡る予定だ。
ユースのすぐ後ろにゴロタ岬という小山があり、そこに上がれば朝陽がきれいだと聞き朝三時瀬半ごろから登り始める。まだ暗くて、道が見えない。足元に日の出が見えた。
浜に下りると利尻昆布(本当は礼文昆布だがイメージとして礼文では弱い)を若い人たちが重機も使って引き揚げていた。今日フェリーで利尻に渡るのだか、午前中にエーゼルワイスや教わったいくつかの花を見つけないといけない。昨晩泊まった人たちも起きだしていたようで、スコトン岬に散歩に来ていた。
朝食後はそれぞれ10ほどある散策コースに出発するが、私は礼文島の南端にある香深港に近い桃岩・猫岩を中心に散策することに決めていた。そこには私の青春の思い出があるからだ。
利尻富士は利尻島にあるが、島まで行くとあまりに近いので雄大な景色にはなりにくい気がする。礼文島から見るのが一番立派かもしれない。
映画「北のカナリア」のロケ地になった小学校が丘の上にあり、ここからの利尻島は美しかった。私にどこまでも付いてきた若い女性が一人いた。彼女は私が中退した京都造形芸大の生徒で、京都に毎月のように来ているらしい。私に先輩、先輩と言っていた。
上は50年前に礼文島で撮った白黒写真だが最後の写真は桃岩海岸の上から撮ったもの。その写真の裏には私の好きな詩が書かれていた。佐藤春夫の「涙流れてやみがたく、一人出て佇みぬ、海の明け方海の暮方、ただ青く、とほきあたりは、たとふれば、ふるき思い出、波よする近きなぎさは、けふの日のわれの心ぞ」
夕方、フェリーで利尻島の鷺泊港に入る。民宿なので、もちろん迎えは来ない。港からから電話し、指定されたバスに乗って暗い中を宿を訪ね訪ねて行った。泊まっていた人たちは、工事現場の人や、昆布を干すアルバイトの人、夏にアルバイトしてバスガイドをする若い女の子、とばらばらだ。私は夜の間に自転車を確保する必要があるので、宿のおばさんと近くのバスターミナルに自転車を借りに行く。宿泊料4千円で四畳半に一人で泊めてもらう。食事は豪華で食べきれないほどの刺身が出た。
翌朝五時前から自転車で島を走る。昆布は海岸から離れた利尻山の山裾に数十人の人で敷き詰められていた。早朝から干さないと乾かないらしい。利尻昆布は全国ブランドだ。
この島には戊辰戦争に敗れた仙台の伊達藩士が多く住みついた。ここはその人たちのお墓で野菊が美しかった。
利尻島は利尻富士と呼ばれる火山が全てである。そのためこの山は火山灰でできていて、滑りやすいので登山がむつかしい。それが分かっているので多くの登山家が毎年訪れている。
山の下には綺麗な湖がいくつもあり、これはオタトマリ湖。その湖面にマッタ―ホルンのような利尻富士が姿を映す。
漁師の奥さん方が今朝とって来たばかりのウニを食べさせてくれた。左下の写真はホワイトチョコレート「白い恋人」のカバーに使われている風景だ。
ペシ岬の近くから稚内に帰る船が一日三便ほど出ている。利尻島の山の中腹に近いところをサイクリングロードか走っている車は通れない。道の途中に町営の温泉もあり汗を流す。利尻島で一番印象に残ったのは民宿の夕食が素晴らしく食べきれなかったのと廃校になった小学校にあった下の詩碑である。撮影している私の姿が、ボーッと映っている。
サロベツ原野
高速艇で稚内に戻ったが、特急列車しかない。私は豊富駅で降りるので各駅を一時間待つ。サロベツのペンション(アシタの城・ちばてつやの漫画名)に泊めてもらう予定だ。迎えに来てくれたオーナーに夕日を撮りたいと言って海岸周りでペンションへ行ってもらう。利尻島は夕焼で波の中に浮き上がりきれいだった。ペンションは漫画的ではなく、しゃれた建物だった。この宿の二階への階段には鳥の写真が四、五枚掲げてあった。本当の鳥の写真と思ったが本物以上に迫力があるので聞くと、札幌の女性彫刻家の作品だと聞かされる。私は姉からバードカービングの作品を展示している札幌のレストランがあるとは聞いていた、この写真の彫刻家にはぜひ会いたいと思う。朝五時ごろに宿の自転車でサロベツ原野に向かう。
真っ暗な中で朝日に向かっている走っていると、爆音が後ろから響いてきた。これは道でなくて滑走路かと思うほどだったが、通り過ぎたのは小型車だった。実はここは原生花園で国有地のようだ。湿原のため、常に水を抜く必要があり、すぐ下に巨大なパイスプがいっぱいに敷き詰めてあるらしい。維持には大変な費用を使っているらしい。歩く道は指定された板張りの通路のみだ。その奥のほうに早くもバードウォッチャーがたくさん詰めかけて渡り鳥の巣を撮影していた。湿原の周囲には何軒か牧場があった。ペンションに戻るとラベンダがきれいに咲いていた。オーナー自慢の居間から庭を見ると落ち着く。
豊富の駅まで送ってもらうが、このまま帰ったのではもったいない。駅売店の若い女性にどこかで弁当を買いたい、あなたはどこで買う、と言うと、コンビニの場所とハンバーグのの名前を教えてくれた。そして彼女の自転車を借り、教えてもらった大規模農場とトナカイ牧場に向かう。三時間かかるだろうと言われたが、大きなリュックサックは預け移動を開始した。大規模草地牧場は村の共有の牧草地で、このあたりの牧場は皆ここに預けるらしい。ここは司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」のロケ舞台になった場所だ。まさに坂の上の雲だ。
ここから一時間ほどかかったが、写真を撮りながらトナカイ牧場に行く。子供たちの遠足だ。みんな私を見送ってくれた。
電車で旭川に出て、そこからは高速バスで札幌に入る。息子と連絡を取り、女性彫刻家北尾さんのスタジオZEROに息子夫婦と連れ立って訪問。素晴らしい作品と生き方を教わる。翌日は家族全員で野幌の北海道博物館を訪ねている。ここには札幌農学校の寄宿舎や開拓期の建物、そして馬車が走っていた。
高槻に帰ってから、早速、近くに住んでいる日本カービング協会の重鎮の先生の指導を受け、二年間だが、ナチュラルカービングで自分なりの作品を作り、小豆島の森に展示している。
上は北尾さんの作品下は私のカービング・版画
下の写真は北海道博物館と開拓記念館での孫と交番の写真
これは60年前の野幌と私の原風景。
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