① 豊郷(とよさと)・遊民村(ユーミン村)
今回の北海道旅行は道南の牧場で絵を描くのが目的だ。日高本線の豊郷(とよさと)にあるユース、ユーミン村に申し込む。
千歳で飛行機を降り、3時の南千歳行きで苫小牧で日高線に乗り換えて豊郷に向かう。この分だと六時過ぎに着くので、駅前のコンビニで400円の弁当を買ってユースからの迎えを待つ。迎えに来てくれたオーナーの奥さんの話ではご主人は移り気で、牧場を購入したが、毎日同じことをするのが嫌いなため牧場は他人に貸し、自分はいくつかの牧場の出産(夜中の仕事になることが多い)の手伝いなどをしながらユースの忙しい時は手伝うが、客の来ない冬の間はネパールやカンボジアに出かけてボランティアで日本語を教えたりしているらしい。そんな人なので五、六年前に奥尻島の近くで伐採した材木を使い仲間と一年かかってユースのログハウスだけでなく二、三軒のログハウスをを自分達で作ってしまったらしい。
このユースでは乗馬用の白馬2頭とオスのポニーが二頭いる。その世話も奥さんがやるため、毎朝早くから大変だそうだ。
日の出は朝6時20分と聞いた。この辺りは高い山が無く、日高山脈も海に近いので低い山並みで、そこに朝日が上がるらしい。冬は雪をいただいた稜線が朝日に染まると神々しいぐらいだそうだ。今の時期は日没が4時だ。夏は白夜に近い状態で明るいらしい。北海道は緯度が高いかららしい。
夕食はイクラ丼で、お変わり自由と言っていた。てんぷらもうまそうだ。私が買ってきた弁当とは比較にならない。明日は日高山脈の新雪が見れるかもしれないと聞いたので早く寝ることにする。しかしなかなか眠れない。
一階にはストーブが一台あるだけで、二階の寝室には暖房は無いが、下からの熱で暑すぎるほどだ。私は温度や部屋の空気に慣れるのには時間がかかる。葡萄酒を好きなだけ飲んでもよいと言われて飲んだが寝れない。同居者も居るので、がさがさしては悪いと思ったが、5時にベッドを出る。
ユースの裏の丘に上がるとサンシャイン牧場(ここのオーナーが貸している)が広がっている。少し起伏はあるが遠くに柵があるだけで、ただ一面の牧草である。変化が無いので足元にあるイバラを大きく描き、赤い実を強調した。もう一枚は鉛筆の下書きは出来たが朝食が7時半なので帰ることにする。
ユースの親子の白馬を描こうと思ったがじっとしてくれない。オーナーにそれを言うと、「じっとしている馬がもし居たらモデル料を取るよ」とオーナーに言われた。その点、庭に放し飼いになっている大きなウサギはじっとしている。今日の天気はもう一つだ。しかし朝飯前にまずまずの絵はかけたのは幸いだ。
朝食後はオーナーのママチャリを借り、門別の灯台と門別の神社を描きに行く。
灯台近くで雨が降ってきた。灯台は当然高台にある。風も強い。紙が濡れてえんぴつがすべる。「消しゴムで消すと紙がささくれてむけてくる。そこに色を塗ると色もくすんだ色になる。「雨の門別灯台」というタイトルをつけて描き、色回るさの言い訳をするしかないか、と思ったが下に灯台守の家があるので、頼んで倉庫の上の遊技室、息子さんの部屋のようだが、そこに入れてもらう。雨の中で絵を描くなんて、と最初は雰囲気が悪かったが、その後は掃除をしてくれてイスまで持って来てくれた。しかし、部屋の中からでは灯台は見えても下を走るJRの線路や海岸線が見えない。外は雨と風が強かったのでボロボロの鶏小屋が高台に投げ捨ててあった中に入って絵を描く。
ここだと小屋のビニール越しで何とか外が見える。汚れていてパレットを下に置けないので苦労する。描き終わった時に一時雨が殆どやんだので、近くにある神社に向かう。この門別は彦根藩(明治維新で譜代の藩は虐げられた)の武士が多く移住した場所で、その人たちが作った神社らしい。小さな社は階段上の高台にあり、ここから港が良く見える。ここでもまた雨が降ってきた。集会所のような建物のひさしを借り、ポリエチレンのビール箱を引っ張ってきてそこにパレットを置いて描く。しかしここだと引っ込んでいるので描きかけていた急な階段下の港の景色が見えない。ぱっと飛び出して見て来て描くことを繰り返した。帰りはようやく晴れてきた。途中の牧場で馬を画こうとして自転車を止めようとしてすべってまたこけた。そうするとはるか向うに居た馬が四頭走って見に来た。「野次馬」という言葉があるように馬は怖がりだが好奇心も強いらしい。
ユースに帰って一階のベランダから外を見ながら絵を描く。一日見て回った中で、ここからの景色が一番良い。下に牧場があり、その先に海が見える。幸福の青い鳥のように近くにささやかな幸せはあったのだ。
日が沈み始めて温度が下がる。奥さんはこの寒いのによく一時間半も外に居るものだと感心してくれた。そしてさらに家の下に回り下からユースのログハウスをデッサンする。もう暗いので明日早く起きて色を塗るつもりだ。これでやっとここに来たかいがあったと思った。奥さんも私の絵を見て「腕があればこんな絵が画けるんですね」と言ってくれた。
ユーミン村での今日の泊まりは私一人だけだ。一人だと夕食もサービスが良いかもしれないので楽しみだ。
やはり出たイクラ丼はうまい。品質の良いイクラを自分で買って自分で漬け込むらしい。特産のねぎの酢味噌もうまい。雪ノ下と言われるキノコも歯ごたえがあってうまい。ワカサギのてんぷらもうまい。
この日の晩は大嵐である。雨がたたきつけるように吹き付けている。ところが朝四時に起きると嘘のように晴れている。空が晴れ、白い大きな雲が出ている。神々しい景色だ。こんな光り輝く景色は絵には画けない。カメラを持って駆け回る。
同じ景色とはとても思えない。昨日描きかけたサンシャイン牧場の絵の続きを描く。 まさに“オーゴツド”だ。
②強風の襟裳岬に行く
根室本線・豊里駅9持5分の列車に乗るために駅まで送ってもらう。
まだ電車が来るまでには時間があったのでホームと言うより30センチ程地面が盛り上がっているだけの場所で電車を待つ。前には海と牧場が広がっている。車道は右のほうに登っていく。その峠のように見えるあたりの向こうは昨日の灯台と神社がある場所だ。海からの風がきつかったが、ホームでスケッチブックを抱きかかえて海岸線に沿った牧場を描いていると後ろから苫小牧行きの列車が来た。
来たのは分かっていたが、振り向かずに描いているとブッブツと警笛を鳴らしてくれた。乗らないのかという合図だろう。見ると誰も乗っていなかった。
構図は描けたので色は待合所の中で風を避けて塗る。すると「すみませんが写真を取らせてください」と言われる。札幌の青年らしい。遠くの峠に列車が見えているのに、まだ色を塗っているのが面白いのだろう。
門別方向から様似(さまに)行きの列車が来たのでそれに乗る。終点の様似(さまに)駅から襟裳岬にはバスで行くが、駅でバスのくる時間を聞くと、まだ40分以上来ない。
バスに乗ると乗客は、私ともう一人だけだ。運転手は今年が定年だったが、引き止められてアルバイトで運転手をしていると言っていた。昔、福永洋一という名騎手がいて競馬人気の頃は日高も景気が良かったらしい。
日曜日ということもあるが、一時間半走っている間に誰も乗ってこない。
沿道には丈の低い柏の木が植わっており、この木だけは葉が枯れても春になって新芽が出るまでしがみつくのだと運転手が言っていた。様似ではこの柏の背丈が二、三メートルあったが、襟裳に入ると1メートルの低さになる。それは風が強いためらしい。風が強い場所を利用して巨大な風力発電の風車が立っていたがが、この日は止まっていた。風速が25メートルを超えると風車が壊れるので止めるらしい。今日は25メートル以上あるのだろう。
突然バスが突風で浮いた。今の風は35メートルあったと運転手が言っている。終点の灯台でバスを降りると土産物屋も一軒だけしか開いていない。
電線が風を受けてムチを打ち付ける時のようなすごい音が出している。私は旅行用のスーツケースをお土産屋に預けて、スケッチブックだけを持って外に出た途端に風で後ろに飛ばされた。
昨日ユースでオーナーの奥さんが、襟裳は風が強いよ。灯台近くのおばあさんがごみを捨てようと思ってゴミ袋を両手に二つ持っ持ったまま飛ばされたらしいよ、と言う話をしたので「それはきっとメリーポピンスだ!」と笑ったが、本当の話だと今わかった。
コートの中に風が入ると75キロの私でも浮き上がる。灯台の下には「風の館」という有料施設があり、観光客に風の強さを体感させてくれるらしいが、今の季節はそれを無料で体験できる。お土産屋の店員に聞くと、「今日は特別だ」という人と、「いつもこうですよ」いう人に分かれた。お客さんに風の強さを宣伝すべきか宣伝すべきでないのか、それは人によって判断が違うようだ。
店員は店を閉めたがっているのが良く分かる。風の館の無料の入口から展望台に出て、大きな岩の後ろに隠れて絵を描く。
画用紙を抑えるだけで精一杯だ。立ち上がって景色を眺めることも出来ない。それでも書いている姿を写真にとってもらおうと思い、建物から必死で出てきたカップルに写してくれと頼む。手が風で震えて取れてないかもしれないと言われる。今晩は襟裳のユースに泊まるつもりで来たが、絵は画けそうも無いのでキャンセルさせてもらう。
帰りのバスの時刻は今来たバスは二時半で行っしまったので、次は6時半である。電車だと様似から苫小牧まで三時間かかるらしい。バスの運転手が「そりゃーバスだよ。襟裳から札幌だと四時間だ。朝5時半に襟裳を出て9時過ぎに着くから皆札幌に出てしまうんだと言っていた。どこにも行けないのでユースに電話をして、もう一泊させてもらいたい、と頼み、駅まで迎えに来てもらう。
②札幌市内で絵を描き、翌日は中山峠で羊蹄山を描く
豊郷から朝一番のバスで札幌には10時前に着いた。
姉の家から歩いて15分でいける「宮の森シャンテ」という札幌オリンピックのジャンプ競技場に行く。スキー用のリフトとゴンドラを使って上まで上がる。(往復800円)そこにはガラス張りでスナックもある立派な展望台があるので了解を得て。その中で絵を画く。ここからだと札幌市内が一望できる。銭箱の海も見える。時々団体客がドッと上がってくる。オリンピック以来、ここは市内有数の観光コースらしい。
それにしてもよくこんな高いところから180mも空中を飛ぶもんだとあきれる。翌日は朝早くから兄に車に乗せてもらい中山峠経由で羊蹄山を描きに行く。中山峠までの山道には新雪が積もっていた。昨日かなり降ったようだ。そして風も強かったのだろう。木に雪が積もって、それが凍りつき、クリスマスツリーのようになっている。樹氷のようでとてもきれいだ。兄はこの三ヶ月間で3度この峠を越えたらしいが一度も羊蹄山は見えなかったと言っている。「見えろ、見えろ」と祈りつつ行く。この日は雲があったが、風で雲が流され、羊蹄山の全形が時々見えた。JRの倶知安駅に向かう。手前の知別(しりべつ)まで行くと羊蹄山がはっきりと見えてきた。
知別川の河原におりると、少し先きにつり橋が架かっており、その向うに富士山に良く似た羊蹄山がくっきりと見えた。平原にそびえる独立峰はまことに美しい。少し寒かったが車から出て絵を描く。ぬくぬくと車の中で描くものではない。義兄は車の中でCDを聞いて待ってくれていた。ある程度描けたので車に飛び込む。続きは車の中だ。それにしても地面に積もった雪と山の雪、そして白樺林の白さをいかに白く抜くか、それとも塗るかが私にとっては課題だ。
倶知安の町に入ると、「日本の名水」の表示があり、行ってみると、岩組みをした渓谷があってあちこちから水か噴出している。羊蹄山の伏流水がここから吹き出すのだろう。団体がバスでたくさん来ている。殆どが台湾の人達だ。熱い台湾から来ればカナダのようなものだろう。JRの機関紙で読んだ倶知安駅前の啄木の歌碑もあった。「真夜中の倶知安駅に下りゆきし女の鬢(びん)の古き痍(きず)あと」と刻まれている。少し啄木もくたびれていたのだろう。もしかすると苦労させている妻への憐憫の情を託しているのかも知れない。どちらにせよ、今の私にはあまりピンと来ない歌だ。
駅の裏手にあるスキー場に上がり、半分朽ちはてたジャンプのジャッジ台に入る。雨がまたかなり降ってきた。
このジャンプ台に近いところらにお寺があった。そこで雨宿りれをさせてもらうと、本堂の天井に住職自らが描いた龍の絵があり、それが市の文化財に指定されているらしい。そこで上がらせてもらって寝転がって写真を撮った。この住職は全くの独学で絵を描いているそうだが立派なものだ。
壁には「筆で画いた山水も宜(よろ)し、鍬で画く山水も亦宜し」忍随、と書かれていた。
開拓民と一緒にこの地に入り入り、鍬を持って耕したのだろう。住職は別として、こんな素晴らしい景色の中で育てば絵描でなくても心の原風景として刷り込まれるにちがいない。
倶知安からは中山峠ではなく余市を通って帰ることにする。余市といえば最近テレビで「ヤンキー母校に帰る」として紹介されて有名になった義家先生の北星余市校があり、宇宙飛行士の毛利さんの宇宙記念館、そしてニッカの工場がある。ここは果物(ブドウ、リンゴ)の産地だ。それと、この町には北海道を代表する三人の画家の記念館があるという。かって有島一郎(作家)がここに牧場を構えて移り住んだことから、理想を求めた若者が集まって来たのかもしれない。
義兄が車で大倉山の裏にある札幌で一番最初に開拓された場所と札幌御岳神社というところに連れて行ってくれた。ここからだと札幌で一番高い手稲山が少し雪を戴いて良く見える。なぜ御岳神社かは分からないが、小さな山が神社の正面にある。
ここで画いていたら日が沈み始め次第に寒くなってきた。さすがに北海道だ寒かった。義兄が四時に迎えにきてくれた時は手が凍えて動かなかった。
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